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アタック25予選体験記’97

 1997年6月8日に行われた、テレビ朝日のクイズ番組「パネルクイズアタック25(以下「アタック25」)」の予選会に参加したときの模様を記しています。私はアタック25の予選を5回受け、そのうち2回は筆記を通過、最難関である面接は1度も通過できず、いつもそうであるが今回こそ予選通過を狙っている私の視点でこの体験記は綴られています。


 朝8時。ふいに目覚まし時計が鳴った。「あれっ?何でこんな時間に鳴ってるんだ?今日は何曜日だっけ?」と、自分が今日何をするのかすっかり忘れていた。こういう点ではすし猫以下の知能である。もう一度布団をかぶろうとしたときに、アタック25の予選があることを思い出す。
 いつも通り、だいたい40分くらいで支度をして家を出る。いつも通りと表現したのは、アタック25の予選は午前も午後もあるのに、何故か私は6回全てで午前の部に組み込まれているからである。電車の中で「「失楽園」の原作者は渡辺淳一だよな〜」と、最近の事柄を頭の中で整理した。地下鉄では自分が書いたクイズ本の記事「アタック25予選通過への道」(読んだ人から「一度も通過していない奴がこんなの書くな」と指摘された)を読み返す。芝公園駅に到着。すでに通り慣れたと表現しても良い道順でABC会館に入り、エレベーターで6階へ上がる。
 予選が始まる時間は午前10時。その時間にあと10分足らずと余裕があったため、人影はまばら。だがものの数分でロビーには人が集まり始める。その中に知った顔を探すが、一人も見あたらなかった。最近アタック25を毎週のように見ているプレイヤー自体が少なくなっていることが影響したのか、それとも「強い人」は別の時間なのか、と考えているうちに、7階へ移動するようにと指示が入ったので移動する。
 予選が行われる部屋の中に入ると、グランドスラムの小倉剛さんを見つけるが、あまり話したことがないので会釈する程度にとどめ、まだ空いていた33番の席に着いた。一番組の予選とはいえ、私が大学生になってから受けた過去4回の中で、ここまでオープン活躍者が少ないことは記憶に無い。
 会場内をざっと見渡すと、男30、女20で合計50人ほど。机の上にはいつもの3点セットが置かれていた。その3点セットとは、参加賞のボールペンと、アンケート用紙、解答用紙である。
 とりあえず全員が席に着いたところで、お定まりであるが必ず耳に入れる諸注意をスタッフが述べ始める。まずはアンケートの記入。私はここ数年同じアンケートを書かされているので、今後受けたい人の中には、あらかじめ書くべきことを知りたい人もいるだろうから、流れに沿って書く項目を挙げていく。

今日の日付:1997年6月8日
番号:33番(座った席の番号を書く)
名前、ふりがな:鈴木舟太、すずきしゅうた
 (それと、名字が変わっている人は旧姓も書く)
性別:男
婚姻:未婚
生年月日、年齢:昭和50年1月30日、22歳
住所、連絡先TEL:省略
職業:工学院大学大学院 工学研究科情報学専攻1年
 (省略はしたりせず、全部書く)
クイズ番組出場経験:
 (テレビ番組で放映され、本戦出場したもの。
 2つまでで、番組名、放送年月、放送局を書く)
アタック25出場経験:無
出場不可能日:(正直に書こう)
免許資格:英検3級、漢検3級
アタック25予選経験:筆記5回、面接2回
クラブ・サークル:コンモリヰ連卍
 (普通のサークルと、クイズサークルの書く欄は別になっている)
得意ジャンル:
 (「社会」「スポーツ」とかではなく、「イースター島」
 「セパタクロー」とか、かなり細分化したジャンルを書こう)
苦手ジャンル:(上記同様に)
好きな音楽:(上記同様に)
趣味:切手収集
自己PR:(6行で、1行に20〜30文字は書ける)
 いつものことで慣れていたため、最初の方の欄はスラスラっと書くが、サークル欄で詰まる。法政クイズリバティは会員名簿欄にこそ名前はあるが、実際は活動していない。というわけで、スタッフが見たら「何だこりゃ?」と言うのが分かりながらも「コンモリ」を書く。「サークル」欄以下は、昔受けたときには「好きなタレント」といった項目もあったはずだが、ここ数年は全く代わっていない。自己PRを書き始める段になると、もう提出している人がいた。「オイオイ、俺はこの予選を何回受けてるんだ?」と自分に聞きたくなるくらい筆の運びが遅かった。これは私がいつもなぁ〜んにも考えていないことの表れである。私は就職戦争に絶対負けるタイプの人間なのは間違いなかった。結局、かなり後から提出。


 ともあれ、無事アンケートを提出し終わり、20問の筆記クイズが始まろうとしていた。いつも通りの力を出せれば筆記は通ると自分に言い聞かせていた。
 まず1問目。「思ったことを遠慮なく言うことを「歯に“何”着せぬ」という?」という簡単な出だし。以降、「米の品種別作付け面積18年連続トップの銘柄」「気象庁の管轄組織」「結婚式の別名は「“何”の典」」という基本的な問題が続く。(1問目から順に「衣(きぬ)」「コシヒカリ」「運輸省」「華燭の典」)
 このペースで行ければOKだと気をよくした途端、落とし穴が待っていた。5問目は「フランスの家庭料理で、肉や野菜を一緒に塊のまま煮込んだもの」を答えさせる問題。問題を読み切っても動けなかった。しょうがないので、フランスの家庭料理といったら「ポトフ」か「ブイヤベース」だろうと勝手に判断し、「2たぁ〜〜〜〜く! ポトフ!」と、ウルトラ第15回大声クイズの能勢さんに、上野さんをミックスさせ、心の中で叫んでいた。
 さらに6問目「参勤交代の制度を確立した江戸幕府の将軍」。さっきのこともあり、基本的ではあるが知らない問題が続き、内心穏やかではなくなってきた。こんな早い段階で分からないのが2つ来るのは危機的状態であった。ペーパーでは必ず何か書くという鉄則に則り、一番こういう制度を作りそうな「家光」を書く。
 危機はまだ去らなかった。7問目「1898年のパリ条約でスペインからアメリカに統治権が移ったアジアの国」、8問目「詩人エドワーズ、ジャズ歌手エラ、小説家フランシス・スコットに共通するファミリーネーム」と、今度は見当すら付かない問題。アジアの国はn択ではあるが、とっくに冷静さを欠いていたので「ベトナム」と、絶対にあり得ない答えを書いてしまう。ファミリーネームは「フランシス・スコット・キー(詩人)」が頭から離れず、これも違うと分かっていながら「キー」と書き入れる。こういう状況に陥った場合のシンキングタイム10秒はとても短く感じる。4問連続で分からない問題が続き、筆記落ちを覚悟し始めていた。
 9問目「世界の金融市場で、ニューヨークはウォール街、ではロンドンは何街?」。聞いた直後に浮かんだ答えは「マジソン街」であった。それを書き込み、次の問題に備えていたが、確かこれは第3回のK−1グランプリのペーパーで出題され、その時「マジソン街」と答えて間違えたことを思い出す。デッキからすでに「第10問」の声が聞こえるも、「マジソン」を消して「ロンバート」と書き入れる。
 10問目は「アマゾン川の河口で起こる逆流現象」。久しぶりに確実に点を取れる問題で安心し、今度は史上最強でこれを答えた西村さんを頭に浮かべながら「ポロロッカ!」と頭の中で絶叫していた。
 安心したのも束の間となる11問目「テレビドラマ「ふたり」、歌「Glass」がヒット中の歌手」。「知らんがな」とそっぽを向きたいところだがそうも行かないので、確か「ふたり」に出ていたな〜というだけで「奥菜恵」と書く。当然、「アイドルならともかく、歌手なわけないよなぁ〜」と、ブルーが入る。
 12問目「田村亮子が通う大学」であっさり「帝京大学」を書く。
 13問目、黒木瞳やら役所広司やらと言い始めたので、電車の中での復唱が頭の中で回っていた。「よし、よし、よし、渡辺淳一、ラッキー、1点追加」と有頂天になっていた。が、「映画「失楽園」の監督は誰?」との問いに愕然。「監督?....知らん........」しょうがないので今村昌平でも書こうとしたが、誰もウケないだろうから次に頭に浮かんだ「深作欣二」が遥かに正解の可能性はあるので書き込む。しかしこれは億分の一の確率が万分の一に変わっただけでは?ということは考えないようにした。
 14問目以降は、時事中心であるが再び簡単な問題が続く。「妹尾河童が自身の少年時代を描いたベストセラー」「ゲーム「ポケモン」の正式名称」「ケレスを始め6千個存在する天体」「映画「101」に登場する犬の品種」「国境線を通る際に課せられる税金」。順に「少年H」「ポケットモンスター」「小惑星」「ダルメシア」「関税」と、問題を読み終わった直後に答えを書ける問題であった。
 19問目「B4サイズの紙は、A4サイズの何倍?」。まずいな〜という印象を持ったので、勘で書き込もうとしたが、その直後、前に何かの本で「A0サイズは1平方m、B0サイズは1.5平方m」ということを読んだことを思い出し、サイズの数字が同じなら倍率は変わらないはずなので、単純に「1.5倍」と書き入れる。
 最後の20問目「北陸民族学博物館館長で、食文化の研究家」という出題。誰なんだぁ〜一体?さっぱり分からないので「周富徳」と、間が抜けた答えを書く。


 以上で筆記終了。スタッフが解答用紙を集め終わったところで、今回の20問を邂逅する。12問が正解確実なもので、正解していなさそうなものが5問。浮動票とも言える残り3問の正否が自分の筆記通過を微妙なものにしていた。


 部屋を出て10分前後して、スタッフが戻ってきた。手に持っているのは、筆記を通過した人のアンケート用紙等である。あの中に自分の名前があるように祈るばかりである。内心、早く発表して欲しかったが、スタッフ側は落ちた人のことを思慮してか、落ちても次があると言い始める。その後はこうすれば予選の点数が2、3点アップして、筆記通過ラインに届くというアドバイスをしてくれた。1分にも満たないアドバイスが長く感じられた。
 いよいよ筆記試験の通過者発表。通過者は番号順ではなくバラバラに呼ばれる。が、これは成績順という見方が的を得ているようで、経験から言って、ペーパーの採点後は成績上位順に並べるはずだから、ボーダーラインと合格者が決まった後でいちいち並べ直す必要もないからそのまま上から読んでいることで自然とそうなるだけなのであろう。まず最初に女性ばかり4人が呼ばれた。どうやら男性と女性で別枠の評定をしたのだろう。ちなみに通過した4人は全員“人妻”であった。5人目に初めて男性が呼ばれる。指折り数えていた私の右手は握りこぶしが完成し、左手もそれが完成しつつあった。

スタッフ「○○番、××さ〜ん」
舟  太(7人目.......)
スタッフ「△△番、□□さ〜ん」
舟  太(8人目.......)

あぁ〜もう9人目。内心穏やかではなかった。

スタッフ「33番、鈴木さ〜ん」

左手の握りこぶしが完成する前に手を広げ、「はい」と返事をすると共にその手を挙げた。「よかったぁ〜、うれしぃ〜」という率直な気持ちが頭の中を占めていた。
 筆記を通過した11人はポラロイドで顔写真を撮ってもらい、スタッフと対面するようにイスを一列に並べ、そこに座った。
 面接が始まる。私は11人中7番目の順番であったので、とりあえずは単なる見学者である。1人目から順々に面接をしていき、クイズ王・西村顕治氏の(会社の)後輩、パチンコの玉を作っているという社会人や、中央大学、早稲田大学のクイズ研と、ある意味ではバラエティに富んでいた。自己紹介によって各自の個性は見えたが、何だかある点で一様な意見ばかりであった。それは「クイズ」についてで、いずれも「昔はたくさん存在したクイズ番組に出場したくてクイズを勉強したが、クイズ番組が次々無くなり、とうとう「アタック25」だけになってしまった。だからこの番組に是非とも出場したい。」という感じである。取り上げるクイズ番組は「ウルトラ」「史上最強」「FNS」といったクイズ王番組で、別にそれがどうということは何もなかった。私もクイズ番組が無くなったことは残念であったし、クイズ王番組隆盛の時代はそれが第一の目標ともなっていた。だが、私が納得行かない点がその後で続いていた。それは「昔は良かった」的な言い回しで、今のクイズは衰退しきったかのうような表現をしていたのには疑問を感じた。それはただ単に「昔のクイズ番組が復活して欲しい」と“望んで”いるだけだということである。テレビでクイズ番組が復活することを待っているだけなら誰でもできる。それなら「自分たちでクイズを作れ」と言いたかった。だが、これがクイズの現状なのである。クイズに関してポリシーを持つ人間自体が少ないことが否めないのは、長いことクイズをしていて分かり切っている。大抵の人は、テレビや企画者が生み出すクイズを“解くこと”が楽しくてクイズをしているのだから、解くことだけの人間は、出題する者がいなくなってしまえばクイズから離れてしまうことは自明の理である。

「何故、自分でクイズを作らないのか?」

そういう質問をしたかった。だが、環境的・時間的・人間的な制約で、クイズばかりやるわけには行かないことも分かっていたので、その質問をしたところでどうにかなるわけではなかった。ただ私は、“望むだけ”“与えられるだけ”というクイズはしたくなかった。
 前の6人が面接を受けている間、私はクイズについて見つめ直させられていた。そんな考え事をしていた私に面接の順番が回ってくる。とりあえずは大体30秒で自己紹介をする。アンケートに書いた自己PRに沿ったお決まり的なもので、会社面接なら100%切られる面白味のないものだと、話している自分自身が呆れていた。その後も大学院での訳が分からない研究について話し、あっと言う間に面接は終わった。時間にして2分も無かった。前の人の中には4分ぐらい話をした人もいたのに、これだけ早くスタッフに見切られるとは自分でも予想していなかった。正直、アピールしたいことの1割も話せなかった。だから終わった瞬間は「ああ、また落ちたか....」という感じで、残る女性4人の面接も上の空であった。


 面接が終わって、部屋から出る。すでに11時25分を過ぎている。予選を開始する前に、「次回は11時半です」というスタッフの一言を小耳に挟んでいたので、6階に知り合いが誰かいないかのぞいてみることにした。6階に降りると、何とそこには女性ばかりが待機していた。中にはちらほら男性もいるが、どう見ても単なる付き添いであった。深く考えなくても、この組は女性用の組とわかった。結局、知った顔を見つけられずにそのままABC会館を後にする。
 これは後で周りから聞いた話を総合したものだが、やはり今回、オープンに参加しているクイズプレイヤーで予選を受けた者はほとんどおらず、プレイヤーが「アタック25」自体から離れているようである。現在、あれだけオープン系の大会が充実していると、1つだけあるテレビのクイズ番組に執着する意義が薄くなってしまったようでもある。
 私はJR浜松町方面に足を進めていた。最初からちゃんと読んでいた人の中に、「あれ?芝公園じゃないの?」と疑問に思う人がいるかもしれないので講釈すると、次のような関係になっているのである。

高田馬場−(280円)−芝公園(ABC会館に近い)
|           |
(定期を使える)   (歩ける距離)
|           |
新  宿−(190円)−浜松町(ABC会館に遠い)
 90円安くあがるのだが、新宿に用があったこともちゃんと付け加えておく。いつもならば浜松町近くのマクドナルドで昼食をとるのだが、今日は吉野屋に足が動いた。筆記を通った過去2回は、うれしくてしょうがなかったのに、今回は面接で言いたいことが全く言えなかったので、面接落ちは確実だった。やっぱり自分はテレビには向いてないんじゃ無かろうか?ということを、面接で他の人の言動についてのことと一緒に噛み砕いていた。


本当のお答え
 上の文章だけでは、筆記のいくつかは間違った答えしか書かれていないので、ここで正確なお答えを。

7問目「フィリピン」
8問目「フィッツジェラルド」
11問目「河村隆一」
13問目「森田芳光」
20問目「(未だに分からず)」

賢明な方ならお分かりだろうが、この5つが「正解していなさそうな」問題の答えで、全て誤答。ちなみに浮動票の5、6、19は全て正解だった。というわけで、自己採点は「アタック25」の予選通過ボーダーラインといわれる15点であった。11問目の河村隆一は、弟に聞いたらあっさり答えが返ってきた。やはりクイズはこういうものである。20問目は、上記の文章にある「北陸」は「国立」を聞き間違えたもので、「国立民族学博物館」の間違い。

 (追記:2004/01/31)遠藤聡さんより、20問目の答えは「石毛直道」であるというメールをいただきました。平成9年の時に国立民族学博物館館長であり、食文化についての著書が多数あるということで特定されたそうです。ありがとうございました。

 予選が行われてから2週間後、不合格通知が私宛に届いた。分かっていたこととはいえ、自分を否定された感じでこういうハガキは嫌である。


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