研究論文:運命付けられた死「古泉一樹とギルデンスターンは死んだ」
#12「ライブアライブ」放送後、涼宮ハルヒのライブをメインに、長門有希のギター演奏、鶴屋さん&朝比奈みくるのウェイトレス姿が話題である。それはそれで華やかな出来事で良いのだが、それとは相反する形で、私が特に気になったのが、クラスの舞台劇でギルデンスターン役を演じた古泉一樹についてである。
ローゼンクランツとギルデンスターン
シェイクスピアの四大悲劇の一つに『ハムレット』がある。この作品の中で、「ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ(Rosencrantz and Guildenstern Are Dead.)」というセリフだけでその最期を片付けられてしまう超・端役キャラクターこそが、ローゼンクランツとギルデンスターンである。
そんな存在感の薄い超端役なぞ、『ハムレット』に登場する多数の重要キャラクターの前では取るに足らない存在なわけだが、世の中には妙なところに目を付ける人がいるもので。この2人に目を付けた人物は、チェコ出身の劇作家トム・ストッパード。超端役2人を主人公にして『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』という物語を作り上げたのである。
『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』において、主役2人は『ハムレット』同様、ハムレットの監視をしながらも、ハムレットによる親書のすり替えに気付かないまま、予定通りの死を迎える。主役2人は自分の役目を全うしようとするも、『ハムレット』のストーリー進行に外れるような行動は一切起こさず&起こせず、結局『ハムレット』同様の末路をたどる。
ちなみに“超端役”と形容してはいるものの、これは誇張表現なんで。2人はハムレットの友人で、『涼宮ハルヒ』シリーズで例えれば谷口&国木田あたりのポジションのキャラクターである。いや、こう書くと、やっぱり超端役かな。
古泉一樹とギルデンスターン
さて、長々と演劇の概略について書いたわけだが、この『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』で古泉一樹が演じた役は、一樹自身の状況にひどく類似していないか? という点で、非常に気になったのである。『朝比奈ミクルの冒険 Episode00』のキャラクター設定が、実際のキャラクター設定を基盤にしているだけに尚更。
『ハムレット』におけるギルデンスターンほどではないが、“涼宮ハルヒの世界”における古泉一樹の存在は、やはり些末なものである。一樹はハルヒを監視しているが、結局は監視に留まり、ハルヒの行動を阻害するような行為は一切起こさないし、起こせない。
「孤島症候群」などにおいて、一樹はハルヒの行動に影響を与えてはいるものの、それらはあくまで一時的な影響。ギルデンスターンがハムレットに対してどのような行動を取っても『ハムレット』の本筋が変わらないのと同様、一樹の行動は“涼宮ハルヒの世界”そのものに影響を与えるまでには至らない。もしくは“涼宮ハルヒの世界”で与えられた役割を、定められた通りに全うしているだけとも考えられる。
ギルデンスターンと一樹が似ているとはいえ、さすがに「ハルヒの謀略により一樹は死を迎える」という筋は考え難い。しかしハルヒに関する出来事により、一樹は避けることのできない“運命付けられた死”を、定められた通りに迎える、というシナリオならば、十分に考えられる。女子高生達の熱視線を浴びながら喜劇を演じる一樹を見るに、そんな不吉なことが脳裏をよぎって仕方がない。
ちなみにアニメで一樹が演じていたのは「コインを何度投げても表しか出ない」出来事を経て、この出来事について合理的な意見を述べているところ。運命は定まっていて、避けようがないことを暗示している場面である。
昨今、『涼宮ハルヒ』シリーズの結末に関して、SOS団のメンバー全員がハッピーエンドを迎えるか否か、という考察を見る機会がままある。私自身の希望としては当然「全員ハッピーエンド」だが、一方で「もしかして、悲劇的な結末を迎えるキャラクターがいるのでは」という考えが消せないでいる。


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コメント
死=能力の喪失でも良いのではないかと
Posted by: 今泉 | 2006年06月22日 12:19
>今泉様
なるほど、そういう解釈ならば悲劇を回避できそうですね。平凡な結末であっても、ハッピーエンドを迎えて欲しいものです。
Posted by: 鈴木舟太 | 2006年06月22日 22:51
というかハルヒの能力の覚醒によって、
かつての古泉が「死んだ」
という解釈のほうがすっきりする気がします。
本当はこんな性格じゃない、って言ってましたからね。
Posted by: palo | 2006年06月23日 11:04
>palo様
なるほど、既に死んでいるという考え方ですか。ただその場合、既に死んでいる人が舞台で動き続けていることになってしまうのではないでしょうか。
Posted by: 鈴木舟太 | 2006年06月23日 22:58
本当はこんな性格じゃない=本当の性格を隠している ので、かつての古泉は「死んだ」のではなく、まだ生きている。
来るべき最期=ハルヒの監視をする必要がなくなる=性格を隠蔽する必要がなくなる=元の性格に戻る=(敬語口調の)古泉が死ぬ
というのが僕の解釈ですね。
Posted by: KURO | 2006年06月25日 03:39
>KURO様
なるほど。運命付けられている最期の時に、今の“演じている”古泉一樹が死に、それにより能力を持つ前の状態に戻るというわけですね。
私は単純に命を落とす方向で考えていたので、「能力を失う」「今の演じている性格を失う」といった解釈には感心させられました。
Posted by: 鈴木舟太 | 2006年06月25日 07:16
原作者があの劇のタイトルを決めたわけじゃないですよね
つまりアニメスタッフのお遊び。
・・・であればあのシーンで使用された劇から
原作の行く末を論じるのは・・・無理!
Posted by: anon | 2006年06月29日 01:07
>anon様
何を主張したいのかよく分かりませんが、「トム・ストッパード版のハムレット」が『ローゼンクランツとギルデンスターンは死んだ』ですよ。
Posted by: 鈴木舟太 | 2006年06月29日 03:24
古泉一樹とギルデンスターンに関する考察や、それに関する皆さんのコメントになるほどと感心させられました。
ただ、いつまでも今の楽しい状態が続いて欲しいと願うぬるいファン(つまり私です)としては、
古泉も慌てて衣装のままで(原作では面倒なので衣装のまま歩き回っていたみたいですが)ENOZの(つまりハルヒの)ライブを見に来ている所から、
ハルヒはそんな運命を超越して(ちょっと大袈裟か?)これからも皆を引っ張り回していくんだろう、
と自分勝手に解釈しておくことにします。
(SOS団員なのに1人だけライブ会場にいなかった人は……まぁ、忙しかったんでしょうw)
Posted by: のぐ | 2006年06月30日 00:31
>のぐ様
どのような解釈であれ、私の書いた文章がきっかけで、作品に関する一コマをより深く考えるようになっていただけたのであれば、非常に嬉しいです。みくるが会場に来なかったのは、やはり「焼きそば喫茶どんぐり」が入れ食い状態で忙しかったからでしょうね。ここで「なぜみくるはライブ会場にいなかったか?」という点について考えるのも一興でしょうか。
Posted by: 鈴木舟太 | 2006年06月30日 22:39